闘病ブログ更新しました。
『ケモ後の、毛の、近況報告』
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今では3人の子持ち、すっかりおばさんですが…実は私、子供が嫌いでした。
母が近所の幼い子をかわいがるのが嫌だった(笑)し、年下のいとこが4人いましたが、面倒見るのが嫌いだったり。
(うち一人は昨年亡くなってしまいました…後悔ばかりです)
物心つくとそれが罪悪感になり、自分でも理由がわからなかった。
それでも、結婚相手がひとりっこだったから子供が2人は欲しい、と言われ、男の人は産めないのだから産んであげないと、みたいなノリで結局3人産みました。
私は理屈が勝つタイプらしく、生理的なことも理屈が通らないのはどうも気持ちが悪くて。
そのためにいろいろ勉強しました。
でも、子供が嫌いという自分を納得させる、理屈がどうしてもわからなかった。
子供が嫌いでどうやって子育てをしたのか、というと「危害を及ぼさない」ことを第一義にしてました(!)。
兄弟を作ってやりたいという夫の希望も「私が一人で一人の子供を育てるのはリスクが高い(汗)。私の横暴を子供が直撃食らわないためには、複数いれば子供同士の世界ができるからいいんじゃないか」なーんて(爆笑)自分でも頭大丈夫?なんて突っ込むようなことを考えていました。
それでも本人大真面目だったんですけどね。
おかげさまで3人の娘たちはグレもせず、まあまあうまくやってます。
有難いことに3番目を産んで、子供というものに慣れたのでしょうか(苦笑)末っ子は人並みに可愛いと感じて育てることができました。
同時に、上の2人の経験のおかげということも納得できて、以後、私が自分の子供に抱く感情はかなり改善されたのです。
そのうちよそのお子さんを見ても「ああ、可愛いな」という気持ちが自然に出てくるようになり、私も大人になったなあ(爆笑)と思っていました。
なぜ今頃、こんなことを思い出したのかというと、つい昨日、わかったことがあったから。
スーパーで買い物をしていて、お母さんに駄々をこねる子供の姿が目に入りました。
これまでの私なら、お母さん大変だよなーと目線も母親側でしかないのですが、その時はなぜか子供の方に意識が向かいました。
自分を見てほしくて、甘えた声で何度も母親を呼ぶ子供の様子を見ていて、気がついたことがありました。
私もそうしたかったんだ、と。
ずっと、子供らしくねだったり、ただ自分を見てほしいという気持ちを封印していたんだ、だからよその子供がそういう態度を取ることがうらやましくて、親に受け入れられる子供がうらやましくてならなかったんだ…
うちの両親も人並みに、私や兄をかわいがってくれていたと思います。
ただ、私はいつも親に欲張りとか要求が多いというふうに叱られるのが常でした。
怒られるのが嫌で、いつの間にか私のわがままは抑圧され、出さなくなったのですね。
(ついでに理論武装を覚えて小学生の頃には立派な「しっかりしたお嬢さん」をやっていた。…くだらん)
そんな自分を知っていて、知らないふりをしていたから、子供らしく駄々をこねる子供が「嫌い」だったんだ、とわかったのです。
今頃、そこ!?…って、自分でも思いましたが、事実だからしょうがない。
でも、すっと、気持ちが楽になりました。
理屈で納得しないといけないのは変わりませんが、一つでも「わかる」のは嬉しい。