先日、岡山駅で少年が男性会社員をホームから突き落とした事件がありました。
今朝、ワイドショーを夫と二人で見ていたらその話題になって、彼が内容を知らなかったので簡単に説明したところ、なんだか考え込んでしまいました。
曰く「俺も小学3年の頃、同級生の女子を突き飛ばしたことがあって、自分でもなんでそんなことをしたのかわからんままやねん」と。
彼の話によると、相手の子は手術をしたばかりで、朝の学活(ホームルーム)で担任からクラス全員に「○○ちゃんはまだ手術の傷が治りきっていないので気をつけてあげてください」という注意を受けたそうです。
それなのに、夫は、その子を突き飛ばし、先生や親も巻き込んでの大騒ぎになってしまったのだとか。
幸いにも大事にはならなかったそうなのですが、後で「何でそんなことをしたの?」と聞かれても答えられなかった。
自分でも、どうしてもそんなことをした理由がわからないらしいのです。
ちなみに、夫は一人っ子で両親からすごく大事に育てられました。
夫の両親は口を揃えて「息子は、小学校の頃は本当にいい子だった(過去形・苦笑)」といまだに言います。
兄がいてどちらかというと冷遇(笑)されていた私から見れば、夫は過保護に育ったように見えるのですが、それはそれで当人には苦労があったようで、ついつい「いい子」を演じてしまっていたと思うと話していました。
事件の少年もとっても優等生で親御さんはかなり大事にされていたようです。
彼も、自分でも何がなにやらわからないうちに、凶行に及んでしまったのか、それとも明確な意図があったのが(これも怖いことですが)わかりませんが、「魔が差す」という言葉が日本語にあることからも、理由が定かではない行動が人間にはあり得るということなんでしょう。
夫自身は、それ以来自分の行動に意識的になったようです。
いまだに時々、思い出してはあれはなんだったんだろう?と考えていると。
過ちは過ちとしても、「理由のわからない行動」が、彼のその後の行動をコントロールしたことは確かです。
だとすれば、「理由のない行動」はあり得るけれど、「意味のない行動」というものはないのかもしれません。
大事な人を亡くされたご遺族には掛ける言葉も出ませんが、ワイドショーでの「理由」を追求するコメントや番組の構成を見るにつけ、考えるところはもっと違うところにあるような気がした一日でした。